哲学の講義・その二≪九月三日≫ ―爾―名無「お酒?飲むでしょ!日本酒。あれ、どうして透明な のか知ってる?」 俺 「いえ?」 名無「お酒の祖先って言ったら可笑しいけど、あれは元 来、タイ・ビルマ・ラオスなどのインドシナ半島で作 られていたものなんだ。向こうのお酒はドロドロとし ていて、半透明のもの。それが日本にも伝わってき て、伝わってきた時はドロドロとしたお酒だったんだ な。」 俺 「あっ、そうなの?」 名無「江戸時代のことだけど、酒屋の丁稚と主人がお酒を 作っているときに喧嘩して、怒った丁稚が酒の樽の中 に、主人を困らせてやろうと、樽の中に灰を投げ込ん だんだ。そしたら、どういうわけか、お酒がきれいな 透明になっちゃった。今の清酒が出来た瞬間さ。」 感心していると、話はあっちこっちへとエスカレートしていった。 名無「生の牛乳を飲んだ事はあるかい?あれは実際飲めた もんじゃないよ。大体のめるのは、三歳児までとされ ているんだ。無理して飲むとほとんどの人が、下痢を 起こすね。それを克服する為に、ヨーグルトなどにし て飲みやすくしているんだ。」 俺 「ふ~~~ん。」 名無「そんな中で、北欧人だけが生の牛乳を飲んでいる事 実なんだ。つまり、北欧人の幼児性・・・・・そし て、フリーセックスへと通じて行くわけなんだ。頭が 幼稚なのも、それが原因しているとも言われている ね。」 俺 「あっ、そうなの。」 ここまで来ると、全てがこじ付けに思えてくる。なるほど、こ んな解釈の仕方があるんだと、変に感心してしまう。 この人が、学校の教授を放り出した理由が、この辺にあるのか な・・・・とも思ったりして。 名無「モンゴル人は古来野菜を食わないんだ。遊牧民族と いう奴らは、商業民族や農業民族と比べて、伝統とし て民族的自尊心がものすごく強いんだ。特に、農業民 族(中国人)に対してだけど。土の上を這いずり回っ ている、汚らしい耕作者達、つまり中国人たちを遊牧 民であるモンゴル人が、馬上の上から見下ろしている 光景を想像すれば、彼らの気分がほぼ察せられる訳 だ。」 俺 「なるほど。」 名無「その上、ラマ教が入ってきてから、土を耕す事その ものが、宗教的タブーとなってしまったんだ。」 こうして、哲学の講義は午前中ずっと続けられた。 * ティーは、暑い陽ざしの中、ブリキ(俺の母親が若い頃使って いた)で作られた大きなタライの中へ、洗濯物をいっぱい詰め込んで黙々と 洗っている。 日本で言えば、中学生にあたる年頃であるが、毎日こうして働いてい るのを思うと、何が良くて何が悪いのか、日本での人間の価値観と言う物 が、もろくも崩れてくる思いがする。 リンは相変わらず、お転婆ぶりを発揮して、幼稚園から戻ってくる と、上半身裸になって長椅子の上へ寝っころがったり、犬を追い掛け回した り忙しい。 デーンはデーンで朝は、パジャマのまま庭に出て、お気に入り の片目がつぶれている可愛い犬を、抱き上げたかと思うと外へ出かけていっ たり、家の食事を作ったり、ハウスの通訳をしたりと結構忙しそうに、(彼 女自身は悠々と)動き回っている。 さっきまで、イスに腰を降ろして犬と遊んでいたのにもう見えなくな っている。 広場にある大きな木のテーブルを囲んで、いろんな哲学?の講 義を聞かせてもらったけど、午後からタイの友達に逢うとかで、午後の講義 は無くなってしまった。 * 午後から、堀沿いを歩く。 いつもの通り、Moon Munang Road(通りの名前)に出て、Chaiya Poon Roadに入り、そこから西へ向かいManee Noparat Roadへ足を向け た。 ここまで来ると、市内から随分離れるているようで、少しずつ寂しく なってきた。 右手にボーリング場を見ながら通り過ぎるが、その先には何も なく再び引き返して、ボーリング場に入る。 ここチェンマイには不似合いな、近代的な建物で、受付にはチェンマ イ美人が暇を持て余しているのが見える。 中を見渡しても、二組ほどの客が入っているだけで、他には誰もいな い。 ・・・・・時間的なものだろうか・・・・・? 二、三年後に開かれたアジア大会で初めて(タイ開催)、ボー リングが採用され地元が金メダルを(団体戦)取る事になろうとは、この時 点では夢にも思っていなかった。 一ゲーム12バーツ(180円)、そして街中では3バーツだったコーラ が、ここでは6バーツにもなっている。 日本を離れてスポーツらしいスポーツをしたのは、香港でマラ ソンをして以来だろうか。 ・・・・心地よい汗を流して、美人の受付嬢と世間話をして外へ出 る。 来る時は歩いてきたが、帰りはちょっと疲れたので、バスに乗り込ん だ。 夕暮れ迫るまでハウスの庭に置いてある長椅子に横たわり、薄暗くな り始めた青い空に浮かぶ雲を眺めて過ごす。 |